在日同胞は祖国の運命と一時も離れて生きることはありませんでした。

6月27日、G20出席のため来日した文在寅大統領は、在日同胞と初めての同胞懇談会を持ちました。
その日本語訳をしてくださった方がいますので、ここに紹介します。

文在寅大統領の在日同胞晩餐懇談会演説全文

同胞の皆様、お会いできて嬉しいです。1時間30分で着く距離なのに、伺うまでに長い時間がかかりました。
海外歴訪のときに多くの同胞たちに会ったのですが、今日はいつになく格別な気がします。

時には差別に耐えて、ここを生活の基盤にして生きてきたのか、至難の業なのではないか、見当だけでも痛みが感じられます。
しかし、皆さんはどんなに生活が苦しくても決して祖国を忘れませんでした。
祖国ができなかった時でも、祖国への愛を捨てたことはありません。

尹東柱詩人の詩「星を数える夜」のように、星一つごとに美しい一言を歌ってみて、母を偲んで、韓国人のアイデンティティーを守ってきました。
在日同胞たちは祖国から恩恵を受けたことがなかったとしても、祖国が危機に瀕したときに一番最初に駆け付けました。在日同胞たちの崇高な犠牲は、大韓民国の歴史に刻まれています。

69年前、朝鮮戦争が勃発し祖国が風前灯火の危機に瀕すると、642人の在日同胞青年たちが砲火に包まれた祖国に向かいました。志願して参戦した在日学徒義勇軍でした。生業と学校、愛する家族を後にしたまま、海の向こうに祖国の自由と平和のために身を投げました。中東戦争に参戦して世界から愛国心を称賛された海外在住イスラエル留学生たちより十七年も先の話です。その時に参戦された方々の中で、今生存されている方は8人しかいません。何人かを必ずお連れしようとしましたが、皆さん健康がよくありませんでした。
崇高な愛国心の前に、格別な尊敬と感謝のご挨拶を捧げます。

在日同胞たちは、大韓民国の経済を起こす上でも大きな役割を果たしました。
1965年まで在日同胞たちは祖国に2千万ドルを超えて投資しました。大韓民国の総輸出額が年間1億ドルに満たなかったときのことです。
1970年、ここ大阪で開かれた世界博覧会に後援会を結成し、50万ドルの基金を募金し、韓国館建立のために尽力してくれたのも在日同胞たちでした。
1988年のソウル五輪には、在日同胞たちが100億円を寄付して成功を収めました。
1997年に襲った通貨危機当時、在日同胞たちが外貨送金運動を繰り広げて送ってくれた780億円は、大韓民国が経済危機を克服する上で大いに役立ちました。
2002年の日韓ワールドカップは、歴史的な和合の場でした。民団と朝鮮総連は最初の共同応援団を構成し、一つになった応援の喊声はワールドカップ四強神話につながりました。

昨年行われた平昌冬季五輪にも在日同胞の声援が加わりました。民団を中心に後援金2億円を募金し、応援団を結成して平昌の冬を熱くしました。
在日同胞は祖国の運命と一時も離れて生きていませんでした。民団を中心に、祖国に大きな力になってくださいました同胞の皆様に、深い感謝と尊敬のご挨拶を差し上げます。

同胞の皆さんは経済発展の心強い支えになっていただけでなく、大韓民国の民主化にも犠牲と献身で共にされました。軍部独裁時代、多くの在日同胞青年たちが公安統治のために操作されたスパイ事件の被害者になりました。
昨年12月、「在日同胞留学生スパイ操作事件」の被害者たちが集まってつくった「在日韓国良心囚同友会」が「第3回民主主義者金槿泰賞」を受賞しました。今年の初め、ソウル高裁でスパイ団操作事件の被害者に34度目の無罪が宣告されました。再審で無罪判決が続き、民主化有功者と認められたりもしますが、心の深い傷を癒やし、奪われた時間を取り戻すにはあまりにも不足しています。政府は真実を究明し、傷を癒やすための努力を続けていきます。何より独裁権力の暴力に深く傷ついた在日同胞捏造スパイ被害者の方々と、家族に大統領として国家を代表して心からの謝罪と慰労の言葉を申し上げます。

愛する在日同胞の皆さん。
同胞社会は様々な変化に直面しています。民団に加えて、新定住者、帰化者、次世代など、さまざまな構成員が互いを包容し、共同体の外縁が広がり、力量がさらに大きくなることを期待しています。
政府も在日同胞社会の統合のために必要な支援を惜しまないでしょう。

ここ大阪と関西地域は日本で一番先に位置する民族教育の胎動地です。本日、白頭学園、金剛学園、京都国際学院館、コリア国際学園の教職員皆様がご一緒してくれました。私たち皆の未来三代を献身的に育てていらっしゃる先生たちに深く感謝します。同胞社会の未来を導く次世代が、日本社会で民族のアイデンティティを守り、堂々とした主流に成長できるよう、民族学校と民族学級への支援を強化します。

次世代の母国訪問プログラムを拡大し、同胞社会はもちろん日韓関係の発展に貢献する次世代人材育成に力を入れます。
ここ大阪近辺の地域には、私たち民族の悲しくて痛い歴史を持つウトロ村があります。ウトロは植民地時代の強制徴用で、京都軍用飛行場建設に動員された朝鮮人の集団宿舎でした。強制退去の危機もありましたが、今、両国政府と市民団体が力を合わせてウトロ住民のための住宅を建設しています。私も、参与政府時代、韓国政府の予算支援に役立ったと言って、ウトロ住民団体から感謝牌をもらったことがあります。3.1運動および臨時政府樹立100周年を迎える今年には、ウトロ平和記念館建立を推進しています。ウトロが平和と人権を学ぶ歴史の生きた教育場になることを願っています。
在外国民の安全は何よりも重要な政府の責務です。

昨年、海外安全擁護センターを新設し、今年は「在外国民保護のための領事助力法」を公布しました。特に地震や台風など予期しない災害と事故に遭ったときに信じて頼れる大韓民国になります。

韓国と日本は1500年間文化と歴史を交流してきた身近な隣人であり、古い友人です。
私たちはすでに友好と信頼に基づいた交流が、両国の文化を花咲かせたことをよく知っています。2017年10月、両国の市民団体が共に努力して「朝鮮通信使」をユネスコの世界記録遺産に登録しました。両国国民間の交流と出会い、理解と協力は、日韓両国が未来に向けて共に進む踏み石になっています。去年1年間に史上初めて1千万人を超える両国の国民が行き来しました。 日本の若者たちの間では「第3次韓流ブーム」が吹いています。
日本の多くの若者が防弾少年団やTWICEに熱狂しており、在日同胞たちが密集して住んでいる大阪生野区コリアンタウンを訪れ、韓国の味覚や味わいを楽しんでいます。毎年韓国語を学ぼうとする学生も増えていますね。

また韓国の若者ももうずいぶん前から日本の大衆文化や日本の味に慣れて、日本の隅々を旅しています。
在日同胞一世代たちが困難の中でも、連綿に祖国の文化を守ってきたので、日本での韓流がより身近に近づくことができました。
政府もみなさんがやってきたように、どのような困難にも揺れない日韓友好協力関係を築くために努力します。

愛する同胞の皆さん。
来年東京で夏季オリンピックが開催されます。近隣の日本がオリンピックを成功裏に開催できるように、誠意を持って協力していきます。また、来年の東京オリンピックには南北選手団が共同で入場し、四つの種目で単一チームが出場する予定です。南北選手団の一つになった姿は、世界中の人々の胸を、もう一度平和の感動で満たすことになるでしょう。朝鮮半島の平和が北東アジアの平和につながり、葛藤の時代を超えて和解と協力の時代に進むように力を合わせてくれると信じています。

皆さんが祖国を愛してくれたのに比べて、祖国は皆さんに足りないことが多いです、痛みや傷が一瞬にして消えることはありませんが、少しずつ痛みを希望に変えていきます。もう皆さんに心から報われる道は、大韓民国を誇りに思う国にすることです。あの国がまさに私の祖国の大韓民国ですね、皆さんが誰にでも自慢できる国、人生の中で力になる祖国になるよう努力します。
ありがとうございます。

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